denimm日誌

雑記帳

反抗期ど真ん中の彼の瞳に映る母は

先日、長男とふたりで、自転車で出かける用事があった。

ふたり、と今書いたが、反抗期ど真ん中の長男は

朝から母との自転車デート(母認識)を誰かに見られまいと

私より、かなり後ろからついてきている。

車や人影のない早朝の狭い路地裏を、

わたしは時々後ろを振り返りながら、ペダルを踏む。


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予定していた時間より、少し家をでるのが遅くなった。

ところが、行く信号、行く信号、全部ひっかかる。

その度に、待つ。

風が少し出てきて、自転車の進みが遅くなってきた。

喧騒のない裏路地の交差点はまたもや赤信号だ。

 

左右を、目視する。

私は赤信号を自転車で渡り、先を急ぐ。

 

行った先の用事を済ませ、長男と自宅に戻る。

お昼ご飯を作っていると、長男がキッチンに入ってきて、牛乳パックを手に、

 

「お母さんでも、赤信号で行くんじゃなあ」

 

と、私に言ったのか、ひとりごとのようにも聞こえるトーンで呟いた。

その時、なんと私は言葉を返したのか忘れた。

ただ、長男が、母親である私をそう捉えていたのだなあと思って、妙に印象に残っている。

 

私は彼に対して、口うるさい母親であろうことは自覚がある。

また、私なりに彼に愛情を注いできた自負もある。

 

渡す側の意図と、受け取る側の印象がいつも一緒とは限らない。

親と子の関係性では特にそれが顕著だろう。

 

生真面目だが

いい加減な所もいっぱいで、親しい人には甘えっぱなし。

 

そんな私を、子どもにも晒してきたつもりだった。

 

けれど

人影も車もない早朝の路地裏の赤信号を

母が渡ったことが意外だったと漏らす息子。

 

規範意識が高いと思われた母に彼は失望したのか

それとも

誰しもいい加減な所があるんだと、

彼は人というものを

少し俯瞰で捉えることができるようになった現れだったのか

 

息子の一言を思いながら、

少し丈の短くなった洗いたての彼のジーンズを

夕暮れの中、私はたたむ。