日本語は何げない言葉にも
祈りにも似た思いを宿す素晴らしい言語だと
学生時代の先生が言われていました。
たとえば
「行ってらっしゃい」
わたし達は毎日、日常的にこう声を掛け合っています。
「行ってらっしゃい」は
“行く” と “いらっしゃい” の略で
“いらっしゃい” は 「来て」の尊敬語。
「行ってらっしゃい」には
行って、(無事に)わたしの元へ帰ってきてください
そんな思いが込められているのです。
言霊という言葉があります。
言霊とは、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力のこと。
言霊のコトバの響きだけだと
スピリチュアル色の強い話のようですが
先述のように、言霊はわたし達の暮らしに
深く根付いていることが分かります。
いったいいつの頃から
言霊という言葉はあったのでしょう。
その答えをわたしは先日知りました。
昨日、古典を読み始めたことを書きました。
「そらみつ大和の国は言霊の幸ふ(さきわう)国と
語り継ぎ言い継がひけり」万葉集894
と、詠んだのが最初だそうです。
千年以上も前から、言葉の力が信じられていたのですね。
また、言霊の力とはいい言葉だけを言っているのではありません。
その反対もあります。
時に、さまざまな否定的な感情それら全てを
まるで呼吸でもするように
しねだバカだなどという言葉にして
表現する人がいます。
強く、刺激的なものに
わたし達の心もまた
とらわれ易くできているように思います。
使ったその時は言い放った感覚に
酔いしれることができても
その人自身の守るべき何かを
ゆっくりと、でも確実に
穢していく言葉だとわたしは思います。
“言葉の呪力によって、幸福がもたらされている国。
日本の美称” として山上憶良は詠みました。
「言霊の幸ふ国」
この国に生まれ育った、
わたし達は万葉びとの子孫なのだという
ひそかな誇りを胸に
いつまでも覚えていたい言葉です。