denimm日誌

雑記帳

愛情という下敷き

人はオモシロイ生き物だと思う。

ひとりの人間を人が判断したり

まして評価したりすることは難しいことだと思う。

 

素晴らしい人だと思っていたけれど

思いもよらない言葉から

その人の性根が透けて見えて

がっかりしたり

 

ダメな人だなあと思っていた人が

誰よりもそこはかとない優しさを

ひめていたことに気づいて

今までそれを見抜けなかった自分の嗅覚の無さに

恥じ入る思いになることもある。

 

又吉直樹さんが書いた本「火花」の中に

好きな場面がある。

 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

 

主人公徳永と、先輩芸人神谷が

立ち寄った喫茶店を出る時、

小雨が降っていたので

店のオーナーがひとつしかない傘を

貸してくれるのである。

しばらく歩くと、雨はあがるのだが

その描写が素晴らしい。

 

少し長い引用になるが

お付き合いくださると嬉しい。

 

“ 雨が上がり月が雲の切れ間に見えてもなお、雨の匂いを残したままの街は夕暮れとはまた違った妙に艶のある表情を浮かべていて、そこに相応しい顔の人々が大勢往来を行き交っていた。傘を差しているのは神谷さんと僕だけだ。そんな僕たちを誰も不思議そうには見なかった。神谷さんは傘を差し続けている理由を説明しようとしなかった。

 ただ、空を見上げ、「どのタイミングでやんどんねん。なあ?」と、何度か僕に同意を求めた。喫茶店のマスターの厚意を無下にしたくないという気持ちは理解できる。だが、その想いを雨が降っていないのに傘を差すという行為に託すことが最善であると信じて疑わない純真さを、僕は憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛するのである”

 

雨上がりの空の下でも、傘を差し続ける行為は

奇異に思われる行動だろう。

 

でも、その行為をする人

その行為を傍で見ている人も

ひと色では表現できない、

何色もの感情が

混ざり合い溶け合った気持ちを持ってそこにいる。

 

世の中には誰かを批判することで

自分の個性を出そうとする人もいる。

 

けれど

人への愛情という下敷きに支えられた、

完璧ではない人を優しく見つめる世界が

あることもまた真実で

その世界をわたしは美しいと思うし

愛しいと思う。