denimm日誌

雑記帳

ドラマ大恋愛ロスなあなたへおすすめの本

 

経年劣化による古びたその本は、角が折れ日焼けし茶色く変色している。

背表紙に定価280円と書かれた新潮文庫のそれは

昭和42年に既に43刷改版されていた。

もともとは祖父の書庫にあったものだ。

 

平成最期師走の先日

私は録り溜めていたあるドラマを見たあと

この本に手をのばした。

 

 

 

 

“その数滴の天のものなるレモンの汁は

 ぱつとあなたの意識を正常にした

 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

 あなたの咽喉に嵐はあるが

 かういう命の瀬戸ぎはに

 智恵子はもとの智恵子となり

 生涯の愛を一瞬にかたむけた”

 

        ー高村光太郎著  智恵子抄  から  レモン哀歌よりー

 


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最初にこの本に出会ったとき、私は中学生だった。

教科書に上記の詩、レモン哀歌が載っていたのだ。

 

著者である高村光太郎

その妻智恵子が精神を病み、そして永別。

死後なお募る想いを歌い、残した愛の詩集である。

 

“そんなにもあなたはレモンを待つてゐた”  で始まるこの詩。

妻智恵子の亡くなるその刹那を切り取った作品であることは

あまりにも有名である。

 

私は当時この詩を暗喩していた。

お風呂に身を浸しながら、何度も口にした。

 

宿題になったわけでもない一遍の詩に

そんな関わり方をしたのは初めてのことだったと思う。

 

今になって思えば中学生女子がなぜこの詩に思い入れをしたのだろうと思う。

 

 “がりりと噛んだ”   

 “トパアズ色の香気が立つ”  など

この上ない哀しい状況であるはずなのに

鬱々とした空気を

爽やかな香りで洗い流そうと試みる健気さに惹かれたのだろうか。

 

いや、そんなのは後から取ってつけた理由だろうと誰かに言われたなら

そうかもしれないですね、と私は愛想笑いを浮かべるだろう。

 

そんなことではなく、当時から

 

あの子はカッコいいあの先輩と付き合っている、だとか

この間付き合い始めたばかりの彼と別れたかと思えば

もう今日は別の誰かと遊びに行ってる、だとか

恋愛至上主義な今でいうリア充と呼ばれる人たちとは

真逆にいる人種だった私は

多感で未成熟な自意識をあつかいきれず

彼ら彼女たちが絶対いかないであろう詩の暗誦という

謎の選択をしたのかもしれない。

 

 

さて今期どハマりした「大恋愛」。

(当ブログはここからドラマ大恋愛のネタバレを含みます。

    未視聴でこれから見るという方はここでお別れしましょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今これを読んで下さっているあなたはご覧になっただろうか?

 

戸田恵梨香さん、おそろしく素晴らしい演技だった。

出会った頃の溌剌とした迷いのない聡明な女性から

徐々に遠くなる記憶に対する怯えや戸惑いも絶望も

診療所での無垢な演技も

一瞬だけ記憶が戻った時の瞳の輝きも

戸田恵梨香をすべて投げ出してそこに尚がいた。

 

ムロツヨシさんももちろん素敵だった。

海辺で思わず尚の髪に触れた

シンジあの一瞬の仕草、表情に

胸を鷲掴みにされたのは私だけではなかっただろう。

 

ただ、わが家の次男が同時期に放映された

今日から俺は」に

同じくどハマリしており

シンジの直後に

長髪キテレツ教師を演じるムロさんのあのご尊顔を拝するのは

情緒を保つことに苦労したことは否定できない。

 

話が逸れたが

ただ今わたくしは、絶賛大恋愛ロスの渦中にいる。

 

そんな時に手を伸ばした

高村光太郎著 智恵子抄

 

新潮文庫智恵子抄の後半は

詩だけでなく智恵子の半生と題した光太郎による

エッセイというか長めのあとがきのようなものに

頁を割いている。

 

以下、少し長い引用になるが

読んでくださるとうれしい。

 

 

“妻智恵子が精神分裂症患者として肺結核で死んでから旬日で満二年になる。

 私はこの世で智恵子にめぐりあつたため、彼女の純愛によって清浄にされ、

 以前の廃頽生活から救ひ出される事が出来た経歴を持つており(中略)

 彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。

 (中略)又彼女はそれを受け入れ、理解し、熱愛した。

 私の作った木彫小品を彼女は懐に入れて街を歩いてまで愛撫した。

 彼女のいないこの世で誰が私の彫刻をそのやうにうけ入れてくれるであらうか。

 

 だが今は書かう。

 できるだけ簡単に(中略)大正昭和の年代に人知れず斯ういふ事に悩み、

  かういうことに生き、かういふ事に倒れた女性のあった事を書き記して、

 それをあはれな彼女への餞とする事を許させてもらはう。”

 

少し引用するだけでも多くリンクすることがある。

また、智恵子が裕福な豪家の出であることも

尚と近しい距離にいる。

 

“光太郎と智恵子”の物語には

シンジと尚にも流れていた

優しく激しく、それでいて静謐な儚さと強さがある。

 

 

それはきっと、私といま同じ症状の方の癒しになるとおもう。

私が今そうであるように。

読むものを一瞬でそこへ連れていってくれる。

ドラマ大恋愛は

現代版の智恵子抄だと言い切っていいと私は思う。

 

 

もうひとつ私が好きな一節をご紹介して

今日のブログはおしまい。

このドラマに同じくはまった方と

同じシーンを想起して

同じ想いが共有できたならうれしい。

 

 

 

“愛する心のはちきれた時

 あなたは私に会ひにくる

 すべてを棄て、すべてをのり越え

 すべてをふみにじり

 又嬉嬉として”

 

      ー智恵子抄   から   人に よりー