間違いがあったら、指摘して正せばいい。
二度と同じ間違いがおきないように。
とても当たり前のこと。
でも
“間違いを犯した人”を責め続け
間違いを正す同じ主張をくり返し
発言力のある人の承認を燃料にして
いかに自分が悲しかったかを訴え続ける。
そうなると、様相が変わってくる。
私は問いたい。
あなたは今まで間違いを犯した事はないのか
そして、これからもないと言い切れるのか。
私は言えない。
ついこの間も、間違いをおかしたばかりだ。
長すぎる糾弾は粘着というワードを浮かび上がらせる。
あなたはもっと広い世界に生きているのではないのか。
世界があなたとその人だけならいい。
でも、あなたの助けを必要としている
多くの人がいることをあなたは知っている。
だからこそ、あなたは今日も生きる。
人として正しくあろうとするのではないのか。
誰もが、
あなたの言っていることは分かる
あなたは正しいと言ってほしい。
私もあなたも、どんな社会的立場が大きくなった人でさえも
承認欲求から離れることなんてできやしない。
あなたの一番大事にしているものは何か?
今のあなたを見て、
あなたの事を、素晴らしい事を語る素晴らしい人だと他者は思うのか?
発信する側に立った者は、
誰しもその問いを忘れてはならないと思う。
いつか、私たちがおかしてしまうかもしれない間違いのためにも。