よう子の家族と本とお笑いと。

主婦よう子が暮らしのできごとや気持ちを綴るブログ

この世界を穏やかに生きたい

何年か前、“微妙”という言葉がやたらとよく使われた時があった。

この言葉はその後、一時の流行語ではなく、
いまや、日常的に使われるようになった。

二人で日程を調整する時など

「この日、どう?」

「う~ん、ちょっとその日は微妙かな~」

と、いったように、はっきりダメとは言わないけど、
でも、その日でも大丈夫なニュアンスも若干残すという、
会話のラリーを重ねても
物事が前に進んでいない感触を持たせる、かのワード。

言ってみれば、言葉に窮したとき、
とりあえず返せる便利な言葉なのである。

独身時代にこれを、多用する人に出会ったことがある。

当時、ある店の店長をしていた私はスタッフの人員確保も大切な仕事だった。

予約が多く入った明日
ローテーション入りしていたスタッフが
体調不良で休むことになり
私はあるスタッフに明日の出勤が可能か確認した。

「明日は微妙ですね~」

邪気のないニコニコした表情で、彼女は答えた。

明日の予定を聞かれ、
yesでも noでもない、第三の返事“微妙 ”

急いでいた私と、放たれた返事のユルさのギャップにクラクラした経験がある。


これは、ただの一例だが
意見を求められたり
抜き差しならぬ状況の時
曖昧さは罪である。



あるカフェにて。

差し向かいに座る、若い男女。
若い女が、口元からストローを離し、うっとりした口調で上目遣いに聞く。

「ねー、私のこと、好き?」

「んー、微妙。」

「‥‥‥‥」

デートは終わりである。



ソファーに座るこの家のあるじは、身動きひとつしなかった。
長年堪え忍んできた老いた妻は意を決したように、言葉を発した。

「もう無理ね、私たち。別れましょ。」

「んー、微妙。」

「‥‥‥‥」

妻は話し合いの場を家裁に移すだろう。



上記二件は、私の思いつき妄想劇場である。
イメージが貧困なのはご容赦頂いて
ただ、言いたいことは、
“微妙“ が持つふわふわしたニュアンスからは想像しがたいが
場面次第で、恐ろしく破壊力を持っているということである。



では、曖昧さに寛容を要求され続けるとどうなるか


今度は、

白か黒か
0か100か
良いか悪いか
好きか嫌いか
敵か味方か

今や、気づけば世の中のベクトルは、
常に二択を問われ過ぎていないだろうか。

この二択のうちの一つを選ぶ二分割思考は楽である。

何故なら、一度、自分の中で決めてしまえば
それ以上は考えなくて済むからだ。




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けれど、私たちの世界は、白か黒かだけで構成されていない。

グレーの中で考え、葛藤を保持したまま
模索を続けなければならない時が必ずある。

その道のりは決して平坦ではないけれど
私たちに深い洞察をもたらし
謙虚な自分へと引き上げてくれるものだと思う。



貫くべきこだわりを大事に手放さないこと。
グレーを受け入れる柔軟性を持つこと。
このふたつを同時に持ち合わせること。


そのどちらか一方に傾き過ぎないバランス感覚は
その場しのぎの不安定な日和見主義に与していては
決して掴む事のできない感覚だ。


ストレスの少ない健全な心で今日も暮らせますようにと願う。