denimm日誌

雑記帳

受け入れられない人の意見というもの

家族、ママ友、昔からの友人

 

結婚してからというもの、

狭いコミュニティの中でのみ生きてきた私は

ある大人塾に行って

いろんな方、いろんな意見というものに

リアルな出会いやネットの記事に触れ

世の中には本当に多種多様な人がいるのだなと、しみじみ思ったりする。

 

その考え方に至るには

その人が辿ってきた人生の歴史があって

その人の価値観はそこから形づくられる。

自分では思いもよらなかった視点に出会うと

この人はきっと、女兄弟はいないだろうなあとか、

この人のお母さまと話してみたいなあとか、

バックグラウンドを妄想するのも楽しいもの。

 


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私の考え方もそうやって形成されている。

それを誰かに大事にしてほしいと願うように

誰かの考え方にも謙虚な気持ちを抱いて

耳を傾けたいなと思う。

 

ただ、言いたいのは

耳を傾けるということと

相手の話を鵜呑みにするというのは同義ではないということ。

 

誰かの意見を聞いて

自分の中にその意見を反映させるには

まずは自分の意見、ものさしが必要だ。

 

いくら人の意見を聞いても

最終的な判断を下すのは自分だから

下した決断に伴う責任はあくまでも

自分についてまわる厳しさがある。

 

受け入れられない意見

聞きたくない意見

 

時に、それらの意見は

私の大事にしているもの

私が選びたいものが何なのかを

明確に浮かび上がらせてくれることがある。

 

 

 

口どけは苦いかもしれないけど

適量さえ間違わなければ

美味しい人生という名の

料理に仕上げてくれる調味料って

そう、いっぱいあると思うの。

 

なんで、最後をキモく書きたくなったのか

それは筆者にも分からない。