“好き“ という気持ちは
他人が触れない聖域にいるなあと思う。
例えば
あのミュージシャンかっこいいよね
と、誰かに言ったとして
相手がそうでもないなあと思えば
「そうかなー?」
という否定のニュアンスを含んだ返事が来るかもしれない。
けれど
あのミュージシャン、わたし好きなの!
と、言った時には
「あー、そうなんだね」
と、たとえそれがマイナーな人だったとしても
おおむね受けとめてもらえる返事が来ると思う。
“かっこいい“ には相対的な評価の解釈が入るけれど
“好き” には自由がある。
本人が好きだって言っているものを
わざわざ否定する
そんな野暮な人はいない。
かっこいいかどうかならまだよいが
正しい、正しくないの話しは
ときに、どろ試合(わたし解釈)を見かける。
それって今、決着つけなきゃダメなの?みたいなね。
窮屈じゃないのかな。
もっと、自由でいいのになと思う。
わたしはこれが好きってもっと言いたい。
言えるようになろう。