本をジャケ買いしても
中身も間違えてないって感じられるようになったのはつい最近。
自分の嗅覚を信じていいんだなって思える。
それはとても楽しいこと。
連休中に仕事のある夫のお役目を仰せつかり
嫁である私は子どもふたりを連れて
義実家のお墓まいりに行ってきた。
ひとりで行くのは気乗りはしないものだが
義母の眠る墓園は
彼女の穏やかな人柄を表すかのように
静謐で整備された変わらぬ美しさで
いつも私たちを出迎えてくれる。
墓園までの道すがら
風に揺れる彼岸花が視界に入ってくる。
別名に曼珠沙華という名を持つ真紅の花。
川端康成が書いた短編小説がある。
“ここへ来る汽車の窓に、曼珠沙華が一ぱい咲いていたわ。
あら曼珠沙華をご存じないの?あすこのあの花よ。
茎がかれてから、花茎が生えるのよ。
別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。
花は毎年必ず咲きます。”
「掌の小説 化粧の天使たち 花」より
ずいぶん昔に読んだ たった五行が全ての小説。
余計な装飾のないぎゅっと濃縮された言の葉が
当時の私には まだ手の届かない未知な大人の世界に
触れたような気がして
それがこの本をより印象深いものにした。
この五行を“詩”ではなく
“小説” と位置づけているのもいい。
「あそこに見える赤いお花は彼岸花って言うんよ。
曼珠沙華ってお名前がもう一つあるんよ。」
先日、道端を真紅に染める花の名前を
初めて教えた。
私が生んだふたりの男の子は
飴を舐めながらふーんと気のない返事を返してきた。
「天才はあきらめた」読了。
南海キャンディーズ山里さんのキャラで
ここまで晒けだした思いを世に放つのは、
勇気のいることだったんじゃないかなぁ。(←ちょっと、何様なの…)
クズど真ん中な山里さんと、
努力の天才な山里さんの振り幅が大きすぎる(笑)
でも、だからこそ、私はこの本に惹かれてしまうのだけど。
若林さん(オードリー)の解説もいい。
この“戦友感”はたまんないです。
「命の危険がある。災害と認識している。」
かつて、聞いたことのない言葉で形容される“今年の夏”。
そうでなくとも夏休みの3度の食事メニューは
地味に母親を悩ませます。
早朝から起きた途端に汗ばむわが身。
夫のお弁当を用意し
ふたりの子どもに朝食を摂らせ
あわただしく朝ごはんの片付けをする私に
悪ぶれないトーンの長男から発せられた
「今日、晩ごはんなに?」は
自分でも驚く秒の速さで
「さっさと部活に行けー」が出ました。
そんな熱帯夜に作ったお料理。
にんにく、生姜やハーブの薬味をレシピ倍量入れて
各種野菜と豚肉、チーズで、
ビタミンたっぷりトマト鍋を作ったら
連日の暑さにやられていたわが家のメンズたち
ふだん食べさせてもらってない子のように
見事な鬼食いを披露。
これは推せる。
熱中症対策の真夏鍋。
渦中の日大アメフト選手が顔出し、名出しで「もうアメフトやるつもりも資格もない」って言葉、辛すぎる。
産まれたばかりの赤ちゃんに、食事を与え、名門大学で選手になるまで元気に大きくしたのは、こんな日の為じゃない。
彼と彼の親御さんに対して、日大のトップから心からの謝罪を願う。
あなたが言葉にして口にする事よりも
あなたが決して口にしない言葉が
「あなた」を表現する。
言葉にはしない「あなた」の声。
その声にわたしは惹きつけられる。
海に向かって「バカヤローっ!」て叫んだだけで
海から意識高い人間がザバアーッって顔を出して
「バカなのは貴方ではないですか?」
とか言い始めるのが現代のインターネット
って誰かの呟き。
一部ではパクツイと呼ばれるものらしいが
初見だった私には、分かりすぎるぞと味わってしまった。
嫌な気持ちを沸き立たせるものに出会うと
ちっぽけな脳ミソの情報処理が追い付かない。
そんな時、
今の状況にすっぽり収まる言葉が放り込まれるだけで
なんだか、笑えてしまう。
パクツイの主さん、ありがとう。
少なくともあなたは今日の私を助けてくれました。
そう。
その光景はまるで公開イジメを見せられているような、
呪いのような得体の知れないものが底流にあって
本当の呪いの正体を
言っている本人たちも気付いてないのか
気付いていても見ないようにしているのか
その不安定さが、
余計に抱える闇が深い事を
浮き上がらせているようだった。
結してわたしに向けられているわけではない言葉。
けれど、それらを見聞きしただけで
嫌な気持ちを夕方5時に引きずる私は
つくづくメンタルが豆腐だと思い知らされる。
豆腐は脆いが
食べるとウマー。
片付けメリット 今日の第1位
普段が圧倒的おっちょこ&ズボラな母でも
印象操作1000%増しで
“ちゃんとしたお母さん” として扱われる事。
ふぅ、今年の家庭訪問も無事終了。
さぁ、これから1年、
ボロを出さずに乗り切れるか、がんばれわたしっ。