denimm日誌

雑記帳

今夜はコントを

今夜もう少しで、

コント師日本一を決める大会キングオブコント開幕。

 


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個人的に優勝を一番願うのは、決勝進出5度目のさらば青春の光
あと、注目はGAG少年楽団
結成たった五か月目のコンビや、ベテラン勢、男女コンビ、トリオも出揃った大会。
楽しみしかなーい。

 

http://www.king-of-conte.com/2017/

詭弁の向こうにあるもの

SNSには時折、トンデモ投稿を目にする。

 

執拗に繰り返される悪口、罵詈雑言の数々。

吐き気がする。

タチが悪いのは、周りの空気を見ながら

形勢が悪いとみるや

詭弁を弄して狡猾に論点をずらしていくこと。

それをすればするほど

出発点の違和感が

あぶり出されていく。

 

そんな投稿に自分の知っている人が

賛同をしていると脱力する。

 

もしかすると、その投稿そのものよりも

こころを消耗するに充分な材料かもしれない。

 

なぜ他人の投稿にこんなに悲しさを覚えるのだろう。

わたしは立派な正義感などはなから持ち合わせていない。

それはきっと

こんな発言をする人に時間やお金や手間をかけ

つかの間でも素晴らしい人と捉えたわたしの人を見る目の無さを

受け入れなければいけないことが

わたしを苦しくさせるのだと思う。

 

あなたは今、幸せですか?

道を引き返すことは恥ずかしいことではない。

引き返して、また

陽の当たる場所に帰って来られる。

 


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目的は手段を正当化しない。

どんなに崇高な目的だとあなたが叫んでも。

 

 

 

 

 

 

 

「ミッケ♪」

やっと見つけました。
カレー愛の強すぎる我が家に

これぞまさしく探していたサイズと質感。

 


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古谷製陶所のカレー皿。

 

信楽に工房「古谷製陶所」を持つ古谷浩一さんの器。

土にこだわり、また使いやすさにこだわって作られる粉引の白い器は

土が持つ風合いを残しながらも

釉薬を掛けて焼成されているので

備前焼などに見られる素朴で武骨な印象というよりは

優しい表情を持った器です。

 

よく行く雑貨屋さんで「うつわ展」をやっていて

見て手にした瞬間決めました。

 

形、サイズ、質感、価格の上限、

わたしの中で予め決めていたどの項目も二重⭕。

思わずこころで言ってました。

「ミッケ」

 

何年も探していました。 

掬いやすくカレーがこぼれにくいけど

スプーンは沿わせやすい縁のうつわ。

 

お片付けを家中すると

モノを我が家に入れるとき、

かなりの “吟味派” になります。笑

 

我が家にどうしても迎え入れるというなら

納得して愛せるモノと付き合う。

その気持ちは、日常にも波及します。

たとえば、時間にも。

たとえば、人間関係にも。

 

孫にこの器でカレーを出せるほど

これからずっと大事に使おうと思います。

 

って、下の子、8歳ですけどねー。

 

 

 

 

 

 

 

美しいひと

美しいひと。

 

憧れの “美しいひと“ は

それぞれに違う魅力があるんだけど

みんなに共通していることがある。

 

それは、みんな姿勢がいい。

もれなく。

 


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新しいことを始めると視点が増える。

 

きっと

着物の着付けを

教えてもらっているからだろう。

 

ふと、そう思ったのは。

 

 

 

言霊の幸ふ国

日本語は何げない言葉にも

祈りにも似た思いを宿す素晴らしい言語だと

学生時代の先生が言われていました。

 

たとえば

 

「行ってらっしゃい」

わたし達は毎日、日常的にこう声を掛け合っています。

 

「行ってらっしゃい」は

“行く” と “いらっしゃい” の略で

“いらっしゃい” は 「来て」の尊敬語。

 

「行ってらっしゃい」には

行って、(無事に)わたしの元へ帰ってきてください

そんな思いが込められているのです。

 

言霊という言葉があります。

言霊とは、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力のこと。

 

言霊のコトバの響きだけだと

スピリチュアル色の強い話のようですが

先述のように、言霊はわたし達の暮らしに

深く根付いていることが分かります。

 

 

 

いったいいつの頃から

言霊という言葉はあったのでしょう。

 

その答えをわたしは先日知りました。

 

昨日、古典を読み始めたことを書きました。

 

denimm1222.hateblo.jp

 

 万葉集の中で、山上憶良

 

「そらみつ大和の国は言霊の幸ふ(さきわう)国と

 語り継ぎ言い継がひけり」万葉集894

 

と、詠んだのが最初だそうです。

 


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千年以上も前から、言葉の力が信じられていたのですね。

 

また、言霊の力とはいい言葉だけを言っているのではありません。

その反対もあります。

 

時に、さまざまな否定的な感情それら全てを

まるで呼吸でもするように

しねだバカだなどという言葉にして

表現する人がいます。

 

強く、刺激的なものに

わたし達の心もまた

とらわれ易くできているように思います。

 

使ったその時は言い放った感覚に

酔いしれることができても

その人自身の守るべき何かを

ゆっくりと、でも確実に

穢していく言葉だとわたしは思います。

 

 

“言葉の呪力によって、幸福がもたらされている国。

 日本の美称” として山上憶良は詠みました。

 

「言霊の幸ふ国」

この国に生まれ育った、

わたし達は万葉びとの子孫なのだという

ひそかな誇りを胸に

いつまでも覚えていたい言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古典に触れて

ブログの文章をうまく書けるようになりたくて

文章読本“ なるものを数冊読んでみた。

 

文章のプロたちが

書き方や大事に思っているところが

それぞれ微妙に違っていたり

また、何故そう思うのか

その理由のどれもが説得力を持っていた。

 

私にとっての答えは

実際に書いてみて自分に合うものを

試行錯誤しながら見つけていけばいいのだろう。

素直にそう思えた。

 

また、どの本にも共通した、

文章上達のために推奨しているものもあった。

 

そのひとつが

「古典を学ぶ」ということだった。

 

古典、古文。

学生時代、私はそれらの劣等生だった。

 

このブログで本が好きと

ブログタイトルにまで入れているくせに、マズい・・

わたしはただの一冊も古典文学を読破したことがない。

偏りある本好きなんですと言い張って乗り切れるだろうか。

 

まあ、過去はいい。(逃げよう)

 

文章のプロ達がこぞって推すには訳がある。

そう思ったわたしは

ただ今、万葉集を読んでいるところである。

 


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日本最古の歌集「万葉集

 

そこには、千年以上も前の万葉びとの

喜びや嫉妬、別れの哀しみ、ユーモアや裏切りがあり

現代を生きる私たちのすぐ側にある感情と

同じ温度の息遣いが感じられる。

 

長くなりそうなので、今日はこのあたりで。

明日は、こころに残った万葉集の一節をご紹介します。

 

 

 

あなたと会う

しばらく会ってなかった人を思いだし

ふと会いたくなる。

 

でも何故だか

こころに浮かんだそのままの言葉を

言えない時がある。

 

「近くを通るから…」

なんてそんな “理由“ は

後から付け足した言い訳の別名。

 


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あなたに会いたくなったから会いに来た。

 

そう伝えて会えたらいい。

 

 

 

 

 

深夜の大惨事

寝る前にお茶を飲もうと冷蔵庫を開け

側にあった横倒しのカルピスのペットボトルに触れると

ペットボトルの蓋が外れ

お砂糖たっぷりの1.5L入りのカルピスは

ドクドクと庫内をみるみる満ちていった。

 

寝る直前の大惨事。

 

ぜんぶ噴き上げ

ぜんぶ部品出しして洗う大仕事。

たっぷり一時間以上かかった。

 

最後に拭きあげて一息つくと

冷蔵庫内科の景色のいいこと!

さっきよりずいぶん気持ちいい。

 

誰がキャップをきちんと閉めずにいたんだと

明日、朝は犯人探しに精を出すつもりでいたのに。

わたしは今、意味もなく冷蔵庫を開け閉めしていた。

 


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多分だけど、若干ニヤニヤしていたはずだ。

第三者的にはちょっと、深夜の変態。

 

嫌悪という感情

どんな人と付き合うかと考えたとき

“価値観の合う人“ をあげる人は多いと思う。


でも、価値観って多様で、

切り口次第でいくらでもある。

 

わたしの周りで仲のいいご夫婦を見て思うのは

好きなツボの共有より

これだけは絶対嫌、とか、

こんな人は許せない、とか

嫌いで譲れないものを共感しあえる人は

良好な関係が続いているなあということ。

 


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好みが変わったり

好きな世界が広がっていくことは

後からいくらでもある。

 

一方、何かを嫌悪するって感情は

その人をその人たらしめる動かしがたいファクターだと思う。

 

 

 

以前、飲食店で若い店員さんを

大きな声で怒鳴る人に遭遇。

なるほど、怒鳴る人は

怒りたくて怒っているのだろう。

 

でも、分からないのは隣にいる女性。

自分のお連れが公衆の面前で

自分たちより年若い、立場の弱い店員さんに

まくし立てているのを

ソファに身を預けたまま

どうしてニヤニヤしていられるのか…

情緒どうなってんのだ。

 

諌めるつもりがないのなら

俯いていてほしかった。

 

 

今夜は涼しさが正義

わが家の近所には飲食店がある。

そこの酔っぱらいびと達が、今夜はやけに騒がしいなあと思ったら、なんのことはない、窓が全開だったのだ。今夜は涼しいエアコン要らずな夜。

このままこの涼しさが手に入るなら、酔っぱらいの雄叫びぐらい、いくらだって聞いてやる。

 


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