denimm日誌

雑記帳

例外にしてきたものと向き合う

春先ごろから、着付けのお稽古に通っています。

着物が自分で着られるようになって

暮らしの中に当たり前に着物がある暮らしに憧れています。

 

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きっかけがありました。

 

我が家を片付けきれたと思ってから

家にある私のものは

全て3つに分けられます。

 

・現在使っているもの

・未来に必ず使う予定のあるもの

・見るだけで幸せな気持ちになるもの

 

ところが、

押し入れを掃除していたある日

着物を入れた小さな桐ダンスが目につきました。

 

お客様には散々

モノと向き合っていきましょうと

お伝えしながら

わたし自身は例外を作っていたのです。

 

しつけ糸のついたままの訪問着。

結婚前に紋を入れて誂たけれど

義母の葬儀の時に着用しなかった喪服。

頂き物の開いたことがない色無地着物。

 

“持つのなら愛でよう” と

いつか自分に決めていた言葉を

裏切っているんだよ

と、それらの着物たちが

訴えかけているような感覚。

 

今まで向き合ってこなかった

例外にしていたモノと向き合おう、

そう思いました。

 

使っていないんだし、

今後も使う予定がないのなら

手放せばいい。

そう思っても手放せないのは

何故なんだろう。

 

なんとか生かせないかな。

でも、自分では着られないしな。

 

そう思った私は

和装の喪服を洋装に仕立て直して

参列されていた方がいたことを思い出しました。

調べてみると、業者はありました。

ですが、

仕立て代に50000円も

かかることが分かりました。

洋装の新品スーツが買える値段‥‥

 

リサイクル店に持ち込んでも

紋の入った着物は引き取るかさえ

勝算の薄いものでした。

 

何てことでしょう。

買った時は何十万もしたというのに。

 

またしつけ糸のついたままの訪問着は

友人と訪れた旅先で

テンションも上がっている中

半ば衝動買いのように

着物を買い

帯などはお店の方の勧められるままに

はいはい、と返事をしながら

決めた記憶があります。

 

当時は働いたお金は全て自分の自由とはいえ

何十万円もする着物をその場のノリで

買えてしまえることは

若さが持つ瞬発力だと思えます。

(今なら200%ない…)

 

サービス業に就いていた私は

友人とも休みがなかなか合わず

久しぶりの小旅行に

浮足だっていたことは否めないでしょう。

 

その時のことは

今でも一緒に行った友人と

楽しかった思い出として

話題に上ることがあります。

 

モノにはそれぞれの物語が宿っています。

 

今の自分には手放す度量がないことは

十分理解できた私に

ある方との会話が思い出されました。

 

それが、今

着付けを教えて下さっている沼本厚子先生です。

 

沼本先生は以前

生前整理アドバイザーの資格取得時に

ご一緒させていただきました。

 

みんなで歓談をしていた折に

 

「着物はいいわ、ずっと着られる。

 家でも着物で過ごしているの」

 

気取りや気負いのない口調で

柔らかに話されるその横顔は

長年、着物が暮らしの中に

溶け込んでいることを想像させました。

 

手放せないなら

モノを生かせるわたしになろう

そう思って、

沼本先生に今、教えて頂いているところです。

 

分かりの遅い不器用な生徒でも

とても優しく丁寧に教えくださいます。

 

 

 

また、お茶やお花にも精通してらして

実際、そちらのお弟子さんにも

お教室で手ほどきされています。

 

私も和の文化に触れてみたいなあ、

そう思われた岡山の方がいらしたら

沼本先生をご紹介したいですね。

 

 

今回、着物と向き合ったことで

感謝しているのは

今までのお客様。

よく怒らないでいてくれたなあと。

 

“使うか、使う予定のないものは手放そう(キリッ)”

 

簡単に言わないでよ~って。

キリッ!じゃないよ、どや顔やめて~って

思わせたんじゃないかな。

私は決断させる覚悟を

100の誠実で持てていたのかなと

考えさせられました。

 

でもね、

持つなら、持つ覚悟って

やっぱりあるとないとじゃ

すごく大きい。

 

片付けきれた先に

必ず実感を持って

分かって頂けると思います。